赤津焼を中心に、和食器の暮らしを探求する
瀬戸市の広報で、「洞町・窯垣の小径 めぐり」の案内が入っていたので行ってきました。
2018年5月19日の午前と午後の2回開催するので、午前の部に参加しました。
洞と言えば有名な「本業窯」があるところですね。
洞地区は、瀬戸の中心地から少し離れたところにある、地区を指します。
尾張瀬戸駅から、歩いて15分くらいの場所です。
現在の瀬戸市は、明治に瀬戸村から瀬戸町になり、その後、赤津村、水野村、品野町が、合併や編入された今の状態となっています。
そういう意味で言うと、「瀬戸焼」の発祥の地と言える場所ですね。
窯垣とは、窯の壁として使ったレンガや、窯の中で陶器を配置する際に使用した、陶器製の棚板など、古くなった廃材を利用して積み上げられた「壁」です。
窯の廃材でできた垣根ですね。
もともと、焼き固められて、石みたいなっているので、垣根として積んで使う以外に用途がなかったのでしょうね。
「小径」は、車が通れないような道なので、小径なのかな?
「窯垣の小径」は誰の命名なのか知らないので、本当の由来はわかりませんが、行ってみた感じでは「窯垣」が多い「細い道」って感じです。
「窯垣の小径」って名前をつけると、ここにしか「窯垣」が無いように感じるかもしれないですが、瀬戸市内を注意深く観察すると、至るところに、窯垣を見つけることができます。
窯垣の小径駐車場です。駐車場自体は結構広いのですが、そこに行くまでの道は狭いので大変です。
結構入り組んでいるので、ナビを使っても不安になりますね。
駐車場にはきれいなトイレもあるので、使い勝手は良いです。
まずは、「宝泉寺」です。きれいな山門ですね。
もともと鐘楼だったものの、戦争で鐘が供出され、山門になったそうです。
(ごめんさない、ちょっとうろ覚えなので間違っているかも)
次は、「窯垣の小径」
まさに、小径。車どころか、人がすれ違うのも気を使うレベルです。
この日は、大変天気も良くて、山間の古い集落の中を歩くのは、とても気持ちが良かったですね。
これが窯垣です。比較的最近整備された窯垣だそうです。
垣根の上に乗っている四角い平らな板が、棚板です。
その下の斜めに配置されている丸い柱と、棚板を積み木のように積み上げて、間の空間に陶器を配置します。
その向こうに、寿司桶のように積んてあるのは「えんごろ」と言って、小さは陶器を中に格納して、積み上げて焼いたものです。
ちなみに、円柱のことを瀬戸では「ツク」と読んでいます。
これって、赤津でも「ツク」って言うのかな?
他の産地でも、同じような道具を使って焼いていると思うので、機会があれば聞いてみたいですね。
棚板の上に、屋号か刻印されています。
「なんだろう?」って思っていたら、一緒に参加(もしかしたら関係者?)のおじさんが教えてくれました。
昔は、大きな登り窯を、近くの窯元で共同管理して使っていたので、どこの製品なのかわかるように、窯元の屋号を刻印したのだそうです。
小径は続いていきます。
小径の途中にある「小径資料館」へ着きました。
そこの「お風呂」と「トイレ」です。
お風呂はクラシックモダンな感じですね。
ローマの共同浴場を彷彿とさせます。(ローマに行ったことはないですが。。。)
陶器のトイレも、たまに見かけますね。でも、内部まで細かく絵柄が書いてあるのは珍しいですね。
大きな物を陶器で作るのは大変だそうです。
粘土は焼くと1・2割ほど小さくなるので、粘土や暑さなどを均一にしないと、歪んだり、割れたりするそうです。
先日、NHKの放送していたのですが、薩摩の島津家から、ロシア皇帝に送られた、高さ90cmの大花瓶(エリミタール美術館蔵)を再現するのに1年ほどかかったそうです。
金を基調とした色絵に注目してしまいますが、割れずに素焼きするのが大変だっだそうです。
当時の技法などの資料は全く残っていないので、現在の職人が試行錯誤しながら成形したのですが、何回も失敗した挙句、厳密に壁の厚さを揃えることで成功しました。
窯垣の小径資料館で、消化器?を見つけました。
先程の、棚板に刻印されていた屋号と同じものでは?
「加藤仲右衛門」?かな。
瀬戸、特に焼き物関連の家は「加藤」性が多いので屋号がないと区別できないですね。
さらに窯垣は続きます。
この窯垣は古そうですね。よく見ると、ただ積んであるだけなのですが、地震とか大丈夫でしょうか?
まぁ、これまで残っているということは、大丈夫なんでしょう。
窯垣の小径から、ちょっと歩いたところにある「王子窯」にきました。
ここには、巨大な「重油窯」があります。今は使ってないそうです。
中に入るとその大きさがよくわかります。
なんだか、ここもローマンですね。
窯バーとかできそうです。
この、大きな重油窯で焼かれたと思われる、巨大はすり鉢が、山のように積んでありました。
この後は「窯跡の杜」の案内です。
ここには、戦後まで使われていた12~13も部屋が繋がった、連房式登窯があったそうです。
平成25年に発掘調査され、今は、保存のために埋め戻したそうなので、全容はわかりません。
岐阜県土岐市にある「織部の里公園」に行くと、焼成室14房の巨大な登り窯跡が見学できます。
実際に見てみるとその巨大さにびっくりしますよ。
ちなみに、上の写真は、窯跡の付近の地面の写真です。
陶器の破片がいたるところに落ちています。自然の石より多いくらいです。
ちょっと探せば、箸置きに代用できそうなものが、簡単に見つかると思います。
この後は、「本業窯」へ。
ここは有名なので、説明は省きますね。
ご当主の、案内がとても上手で「なれてるなぁ〜」と思いました。
本業窯で洞めぐりはおしまいです。
この後、午後の部もあるそうで、役場の方はご苦労様です。
帰りに、昼食用に「肉のまる由」で鳥の唐揚げを買って食べました。
店頭に並んでいる肉を、その場で揚げてくれます。
びっくりなのはお値段です。
肉の値段+30円で揚げてくれます。
肉も国産で安い(バローよりは確実に安い)のでかなりお得です。
ちなみに、上の写真で肉の向こうに茶碗は、洞で焼かれた茶碗です。
子供が「かわいい」と気に入って、毎日使っています。